IgA 腎症と口呼吸
IgA 腎症根治治療ネットワーク代表・堀田修クリニック 院長 堀田 修
現在、我が国には約 30 万人の慢性腎臓病患者が末期腎不全により透析医療を受けている。 透析医療が必要となる二大原因疾患は糖尿病性腎症と慢性糸球体腎炎で、慢性糸球体腎炎 の約半数が IgA 腎症である。IgA 腎症は腎臓の血液濾過装置である糸球体のメサンギウム に IgA が沈着することを特徴とし、臨床的には糸球体毛細血管の破綻により血尿が認められる。
IgA 腎症が肉眼的血尿で発症することは稀で、血尿の程度はほとんどの場合は顕微鏡的血尿で、患者の 70%は検診で発見される。
IgA 腎症は、以前は不治の腎臓病であったが、現 在では早期の段階であれば扁桃摘出・ステロイドパルス併用療法(扁摘パルス)により根 治しうる疾患であることが明らかになっている。
IgA 腎症では腎臓に粘膜防御を担当する免疫グロブリンである IgA が沈着することより 粘膜免疫の破綻が関与することが示唆され、感冒を機に血尿が悪化する症例が多いことより上気道粘膜の領域に IgA 腎症発症の根本原因が存在するであろうことが容易に推察され る。そして、扁摘パルスを行うと早期の段階であれば高率に寛解が得られ、また、摘出した口蓋扁桃を詳細に調べると IgA 腎症に特徴的な所見があることから、口蓋扁桃が IgA 腎 症発症の重要な役割を担っていることはもはや疑う余地がないと思われる。
IgA 腎症は世界中で最も頻度が高い原発性糸球体腎炎であるが、興味深いことに国により 罹病率が大きく異なり、アジア、特に日本に多く、欧米に少ない。
世界で地域差を生じる理由は腎生検の適応や集団検尿制度などの医療的要因が大きいと考えられるが、遺伝的素因の関与も指摘されている。しかし、IgA 腎症における責任遺伝子の研究がこれまで精力的になされて来たが、いまだ確立されたものはなく、実際、家族発症する例は IgA 腎症患者のごく一部にすぎない。
筆者はこれまでに 2000 人を超える全国の IgA 腎症患者の診療を行って来た。
日常診療を 通じて気付いたことは「叢生歯列」「上顎前突」「前歯の脱灰」「下顎後退」「口角下垂」「下 口唇の外反肥厚」「口唇乾燥」などの口呼吸と関連する容貌の特徴を持っている IgA 腎症患 者が多いことである。
加湿機能とフィルター機能を備えた鼻呼吸に比べ、口呼吸では咽頭が細菌、ウイルス、粉塵、冷気などに直接暴露されやすく、また口腔内の乾燥も招き、口蓋扁桃を中心とした口腔内リンパ組織に慢性的な炎症を生じやすいといえる。
したがって、 口呼吸の習慣が腎臓病や皮膚関節疾患などの二次疾患の原因となる病巣扁桃を形成する誘因となることが推察される。筆者はこの口呼吸の習慣の有無が国による IgA 腎症の発症頻度の差異を生じる原因であると想定している。
欧米では IgA 腎症の発症率が日本より少ないとされているが、その中ではフランスで発症率が高いことが知られている。
日本人に口呼吸が多いことは以前より指摘されているが、フランスでは他の欧米諸国に比べ口呼吸する人の割合が多いそうである(西原克成博士私信)。
口呼吸の癖を獲得する要因としては、あやまった食習慣やおしゃぶりの早期離脱などがこれまでに指摘されている。
筆者はこれらに加え、日常使用する言語の構音特性も少なからず関与すると想定している。
日本語と比較すると英語には “ p ”, “ m ”, “ v ”, “ f ”といった 口唇(口輪筋)に力が入る言葉(英語の p, m は発語の際、日本語の「ぱぴぷぺぽ」、「まみむめも」に比べて口唇に力が入っている)と、“Ө”(thing, thanks など), “ð”(the, then など)といった舌先を歯に挟むような舌先が緊張する言葉が存在する(フランス語にもӨ, ð は外来語以外には存在しないようである)。
口呼吸の習慣を持つ人は口唇と舌が常時、弛緩 する傾向にあるが、英語の持つ口唇(口輪筋)や舌を緊張させる構音特性が口呼吸の習慣に陥りにくくしているのではないかと筆者は考えている。口呼吸の習慣が是正されないと、口蓋扁桃を摘出しても、舌扁桃などの残存する口腔内リンパ組織に対する抗原刺激状態が改善しないので、十分な治療効果が得られなかったり、 一旦、寛解しても再発したりすることにつながる。
したがって、IgA 腎症の根本治療においてはプロトコールに則った扁摘パルスの実施のみならず、必要に応じた口呼吸の是正が重要であると筆者は考えている。では、口呼吸を是正するためにはどうしたらよいか?
おしゃぶりを 3,4 歳まで続けるというのは予防という観点からは重要かも知れないが、IgA 腎症が 4 歳以下の幼児に生じることは極めて稀で、IgA 腎症を発症する時はすでにおしゃぶり年齢を過ぎている。
口呼吸の人は クチャクチャと音をたて、早食いであることが多いので、筆者は一口 30 回以上噛むことを 指導している。
そして、就眠時には口テープを貼ることを勧める。
こうした、一般的な指導に加えて、口呼吸を根本的に是正する試みとして口輪筋を鍛えて柔軟にする簡単な体操 と、舌位置(口呼吸では舌低位となる)を改善するための舌の運動を指導している。腎臓 だけに注目していては腎臓病を根本的に治すことはできない。
IgA 腎症をはじめとする慢性免疫疾患の治療では病態の全体像を俯瞰し、根本的原因にまで踏み込んだ「木を見て森も見る医療」の実践が肝要である。医学界ではいまだに evidence based medicine (EBM) が席捲し続け、残念ながら IgA 腎症治療における口呼吸是正の重要性が診療ガイドラインに取り上げられることはない。
巷に氾濫する「EBM に基づくガイドライン」の多くは製薬企業の支援を受けた対症治療のランダム化比較試験の結果を明確な目的意識もなく羅列した知識の集積にすぎない。
患者の 病態に対する注意深い観察、必要にして十分な知識、そして、それらに卓越した経験知に 基づく柔軟な智恵が加わり、はじめて患者毎の最善な治療が導き出される。とは言うもの の、EBM を否定することで口呼吸の重要性が高まるわけではなく、また、EBM の批評家が優れた医療を創生するわけではない。
今、私たちに求められていることは「口呼吸に関 する科学的エビデンスを作る」ことであろう。